親から古いアパートや賃貸ビルを相続し、耐震性や修繕費を考えて建替えを検討することがあります。では、入居者へ「次回は更新しません」と伝えれば、退去してもらえるのでしょうか。
結論からいうと、建物が古い、耐震性が低い、建替えたいという事情だけで、当然に退去を求められるわけではありません。普通借家契約の更新を拒絶するには、建替えの必要性だけでなく、契約関係、貸主・借主双方の事情、移転負担、立退料の提示などを総合的に検討する必要があります。
相続後に最初に整理するのは、解体日ではなく契約関係です。
所有者、賃貸人、転貸人、入居者が誰かを確認したうえで、修繕・売却・建替えの出口を比較します。
普通借家は、期間満了だけで退去を求められる?
普通借家契約は、契約書に2年などの期間が書かれていても、期間満了だけで当然に終了するわけではありません。貸主が更新を拒絶するには、借地借家法上の「正当事由」が必要です。
正当事由とは、貸主が明渡しを必要とする事情と、借主が住み続ける必要性などを比較し、更新拒絶を認めるだけの理由があるかを判断する考え方です。建物の老朽化、これまでの契約経過、利用状況、立退料の申出なども考慮されます。
したがって、「建替えるので更新しない」と通知するだけでは足りません。老朽化を理由とする立退き一般の確認点は、老朽アパートの立退きで確認したい正当事由と立退料のポイントで整理しています。
Is値0.09のビルでも、建替えだけで正当事由は完成しなかった
今回参照するのは、東京地方裁判所令和3年12月15日判決(ウエストロー・ジャパン 2021WLJPCA12158012)です。対象は昭和49年築のビルで、耐震診断の構造耐震指標(Is値)は0.09でした。
裁判所は、大規模な耐震補強は現実的ではなく、建替えの必要性が高いこと自体は認めました。しかし、それだけで入居者への明渡請求を認めたわけではありません。誰が明渡しを求めているのかという契約関係も重要な判断材料になりました。
所有者はBでしたが、入居者Yへ更新拒絶を通知し、明渡しを請求したのは転貸人Xでした。XはBと建替え事業を行う計画を主張しましたが、裁判所は、所有者ではないXの正当事由を判断する際に、所有者B側の建替え必要性を特に強く評価することはできないとしました。
相続案件でも、所有権を取得した人と入居者の契約上の貸主が一致するとは限りません。サブリースや転貸がある場合は、契約書ごとに当事者、期間、更新・解約条項を確認する必要があります。
相続した物件で、最初に確認する契約は何?
相続した賃貸物件では、被相続人が保管していた書類と、管理会社・サブリース会社が持つ契約情報が一致していないことがあります。少なくとも次を確認します。
- 普通借家契約か、定期借家契約か
- 所有者、賃貸人、転貸人、入居者が誰か
- 賃貸借契約・更新契約の期間と更新経過
- サブリース・一括借上げ・転貸の有無
- 管理委託契約で管理会社が担う範囲
- 入居者一覧、賃料、滞納、修繕・苦情対応の履歴
相続人が所有権を取得しても、従前の契約を自由に終了できるとは限りません。相続時の管理契約・賃貸借契約の引継ぎは、賃貸住宅オーナーのための相続・管理引継ぎガイドもあわせて確認してください。
入居者の事情と立退料はどう見られた?
入居者Yは、限られた生活費から月額5万3000円の賃料を支払っていること、周辺に信頼できる住民がいること、交通の便がよいことなどを主張しました。一方、入居期間は5年未満で、周辺には同程度の規模・賃料の物件があると認定されました。
裁判所は、入居者が同程度の規模・賃料の物件を新たに借りる際に必要となる費用などを考慮し、転貸人Xが提示した30万円では不十分と判断しました。そのうえで、月額賃料5万3000円の10か月分に当たる53万円を支払うことで、正当事由が補完されるとしました。
53万円や「賃料10か月分」は、この事案で判断された金額です。
立退料に法律上の一律計算式や相場はありません。他の物件で同じ金額を提示すれば退去が認められる、という意味ではありません。
住居か店舗・事務所か、居住・営業期間、代替物件、移転費、休業損失、貸主・借主それぞれの必要性などによって検討内容は変わります。複数の入居者がいる場合も、全員へ同額を提示することが当然に適切とは限りません。
危険性が分かったら、すぐ退去を求めるべき?
耐震性や安全性に問題がある場合は、建物の利用者の安全確保を先送りできません。ただし、資料や計画がないまま「危険なので更新しない」と伝えると、入居者との信頼関係を損ね、建替え計画が進みにくくなるおそれがあります。
建物の安全に関する応急対応と、普通借家契約の更新拒絶・明渡しの法的判断は分けて整理します。交渉を始める前に、少なくとも次の資料をそろえます。
建物の現状
建築時期、建築確認・検査済証、耐震診断、建物調査、修繕履歴、不具合の写真、補強・修繕見積り
建替え計画
解体・着工時期、建替え後の用途、資金計画、建築会社・行政との協議、代替案を比較した記録
契約・入居状況
賃貸借・更新・サブリース・管理委託契約、入居者一覧、賃料、利用状況、修繕・トラブル履歴
移転の負担
居住・営業期間、世帯・用途、代替物件、引越時期、移転費、店舗等の場合の営業上の影響
旧耐震かどうか、既存不適格か、解体後に再建築できるかは別々の確認事項です。道路・接道・建築上の制約は、再建築不可物件で知らずに損するポイントも参考にしてください。
修繕・売却・建替えは、どう比較する?
古い賃貸物件を相続しても、建替えが唯一の出口とは限りません。入居者対応だけでなく、必要資金、収益性、完了までの時間、将来の管理負担を並べて比較します。
| 選択肢 | 先に確認すること | 主な負担・注意点 |
|---|---|---|
| 修繕して賃貸継続 | 補強・修繕で安全性と利用を維持できるか、賃料収入で費用を回収できるか | 追加修繕、空室、将来の大規模工事 |
| 入居中のまま売却 | 収益物件としての収支、契約承継、耐震性・修繕情報をどう説明するか | 老朽化や契約条件が価格に影響する可能性 |
| 退去後に売却 | 明渡しまでの期間・費用、更地・建物付きの需要、解体後の再建築可否 | 交渉長期化、空室期間、解体費 |
| 建替えて賃貸継続 | 賃貸需要、解体・建築・移転支援・融資を含む収支 | 着工時期の不確実性、借入返済、事業リスク |
| 自己・親族利用 | 誰がいつから、どのように使うのかという具体性 | 曖昧な予定は正当事由で強く評価されない可能性 |
賃貸中の物件を売る・貸し続ける・保有する際の収支比較は、横浜の築古マンション・団地は売る、貸す、持ち続ける?の比較方法も応用できます。
管理会社に立退き交渉を任せてもよい?
管理会社は、契約書・入居状況の整理、建物点検、入居者との通常連絡などを補助できます。しかし、管理会社が当然に紛争性のある立退き交渉や法的判断を受任できるわけではありません。
入居者が退去を拒否している、契約書がない、サブリース・転貸がある、所有者と賃貸人が異なる、店舗・事務所が入居している、建物の安全性に重大な問題がある場合は、早い段階で弁護士へ相談してください。
不動産会社・管理会社には物件、契約、収支、修繕・売却・建替えの選択肢整理を相談し、更新拒絶や明渡しの法的判断・交渉は弁護士へ確認するなど、役割を分けることが大切です。
相続した賃貸物件の建替え前チェックリスト
- 普通借家契約か定期借家契約か確認した
- 所有者、賃貸人、転貸人、入居者を契約書で確認した
- 契約期間、更新、賃料、利用状況を入居者ごとに整理した
- サブリース・転貸・管理委託契約の有無と解約条項を確認した
- 耐震診断、建物調査、修繕履歴、見積りをそろえた
- 建替え時期、用途、資金計画を具体化した
- 修繕、入居中売却、退去後売却、建替えを比較した
- 立退料を一律相場で決めず、入居者ごとの事情を確認した
- 安全対応と更新拒絶・明渡しの判断を分けて考えた
- 弁護士へ相談する時期と、不動産会社・管理会社の役割を整理した
まとめ:建替えの前に、契約と出口を整理する
相続した古い賃貸物件は、耐震性に問題があっても、その事情だけで普通借家の入居者へ当然に退去を求められるわけではありません。今回の裁判例でも、Is値0.09という建物事情に加えて、明渡しを求めたのが所有者ではなく転貸人だったこと、入居者側の事情、移転費用、立退料が検討されました。
最初に契約関係を確認し、建物資料と建替え計画を具体化したうえで、修繕・売却・建替えを比較してください。個別の更新拒絶、明渡し、立退料の判断は、紛争になる前に弁護士へ相談することが重要です。
参考裁判例・出典
東京地方裁判所 令和3年12月15日判決(ウエストロー・ジャパン 2021WLJPCA12158012)。一般財団法人不動産適正取引推進機構「RETIO No.131 最近の裁判例から 13」。
本記事は裁判例をもとにした一般的な情報提供であり、個別案件についての法律相談ではありません。契約関係や交渉状況により判断は異なるため、具体的な案件は弁護士などの専門家へご相談ください。
