築年数の古いビルや一棟マンション、店舗、事務所などを売却しようとして、過去の「アスベスト調査報告書」が見つかることがあります。
そこに、
「石綿は含有されていません」
と書かれていたら、ひとまず安心したくなるところです。
では、この結果をもって「この建物にはアスベストはありません」と買主に説明してよいのでしょうか。
ここで注意したいのが、「調査した試料から石綿が検出されなかった」ことと、「建物全体に石綿が使われていない」ことは同じではないという点です。
実際に、購入時の調査報告書には「石綿は含有されていません」と記載されていたものの、購入後の改修時に石綿が見つかり、売主の責任が裁判で争われた事例があります。
この記事では、この裁判例と現在の制度をもとに、
- 中古物件を売却するときにアスベスト調査は必要なのか
- 過去の「石綿なし」という調査結果をどう見ればよいのか
- 古い調査報告書のどこを確認すればよいのか
- 解体・改修時の法定事前調査とは何が違うのか
を、不動産所有者の立場から整理します。
中古物件を売却するときアスベスト調査は必要?
まず、「中古物件の売却」と「解体・改修工事」を分けて考える必要があります。
売却するだけで、解体・改修と同じ事前調査義務が生じるわけではない
現在、建築物の解体・改修工事を行う場合には、法令に基づく石綿(アスベスト)の事前調査制度があります。
一方、中古物件を売却すること自体と、解体・改修工事前の石綿事前調査は別の話です。
「築年数が古い建物を売るから」という理由だけで、解体・改修工事と同じ事前調査制度がそのまま適用されるわけではありません。
ただし、売却時にアスベストに関する情報を確認しなくてよい、という意味でもありません。
過去に調査が行われているのであれば、その記録は売却時の重要な資料になります。
過去の石綿調査記録がある場合は重要事項説明に関係する
国土交通省の「宅地建物取引業法の解釈・運用の考え方」では、石綿使用の有無について調査した結果の記録が保存されている場合、その内容が宅地建物取引業者による重要事項説明の対象になります。
確認する内容としては、
- 調査の実施機関
- 調査の範囲
- 調査年月日
- 石綿使用の有無
- 石綿使用の箇所
などがあります。
また、建物全体を調査したものではない場合には、調査範囲に限定があることを明らかにすることも示されています。
つまり、売却前に古いアスベスト調査報告書が見つかったら、
「石綿なし」という結論だけではなく、「何を、どこまで調べた結果なのか」を確認することが重要です。
なお、これは宅地建物取引業者による重要事項説明の話であり、一般の売主本人に宅地建物取引業法35条上の重要事項説明義務が課されている、という意味ではありません。制度の詳細は、国土交通省「宅地建物取引業法の解釈・運用の考え方」を確認できます。
売主はまず手元にある資料を整理する
売却を検討している段階では、まず建物に関する既存資料を集めてみましょう。
たとえば、
- アスベスト調査報告書
- 建物図面
- 過去の改修工事資料
- 修繕履歴
- 工事見積書
- 過去の物件説明書
- 設備の点検報告書
などです。
設備資料を整理する際は、点検報告書と修繕履歴の確認ポイントも参考になります。
新たな調査が必要かどうかを考える前に、すでに何が調査され、どのような記録が残っているのかを把握することがスタートになります。
「石綿なし」の調査報告書があっても建物全体の話とは限らない
アスベスト調査報告書を見るときは、結果欄だけでなく、その調査の前提まで確認する必要があります。
たとえば「石綿は含有されていません」と記載されていても、それが特定の場所から採取した試料についての分析結果であれば、当然に建物全体の状態を示しているとは限りません。
古い調査報告書がある場合は、
- 誰が調査したのか
- いつ調査したのか
- どの範囲を調査したのか
- どの建材を対象としたのか
- どこから試料を採取したのか
- 未調査部分や留保事項はないか
まで確認します。
特に重要なのが調査範囲です。
この「調査した範囲」と「建物全体」の違いが、実際の不動産売買で争われた裁判があります。
「石綿なし」の報告書があったのに購入後に石綿が見つかった判例
東京地方裁判所令和3年7月28日判決では、購入時に提供された石綿調査報告書と、購入後に判明した実際の石綿含有状況が問題になりました。
約78億円の信託受益権売買
対象となった建物は平成6年4月築。
売主は生命保険会社、買主は特定目的会社で、土地建物の信託受益権が78億円余で売買されました。
一般的な個人間の中古住宅売買とは規模も取引形態も異なりますが、過去の調査報告書を売却時にどう扱うかという点では参考になる事例です。
調査報告書には「石綿は含有されていません」
購入時に提供された調査報告書の試料分析結果には、
「石綿は含有されていません。」
と記載されていました。
ただし、買主に提供された情報はこれだけではありません。
物件説明書には、調査範囲や調査した石綿含有建材の種類などについて、建物の石綿含有建材の使用状況すべてを網羅していない可能性があり、後日、石綿含有建材が発見される可能性があることも記載されていました。
つまり、
「調査した試料から石綿は検出されなかった」
という情報と、
「ただし、その調査が建物全体を網羅しているとは限らない」
という情報がセットで提供されていたことになります。
購入後に吹付材・仕上塗料・成形板から石綿を検出
その後、買主が建物の改修に際して石綿調査を実施したところ、
- 吹付材
- 仕上塗料
- 成形板
から法令基準を超える石綿が検出されました。
アスベストというと吹付材をイメージする人も多いかもしれませんが、この事例では仕上塗料や成形板からも検出されています。
なお、判例資料からは、それぞれが建物の具体的にどの場所に使われていたのかまでは確認できません。
買主は、石綿除去費用などの損害を被ったとして、売主に対して表明保証違反や瑕疵担保責任などに基づき41億円余、調査会社に対して37億円余の損害賠償を求めました。
しかし、裁判所は買主の請求をすべて棄却しました。
なぜ「石綿なし」でも売主の表明保証違反にならなかった?
「石綿なし」と書かれていたのに、なぜ売主の責任が認められなかったのでしょうか。
ここが、この判例から売却実務を考えるうえで重要なところです。
報告書は特定採取場所の分析結果だった
裁判所は、本件の調査報告書について、
特定の採取場所から試料を採取して分析し、基準値を上回る石綿を含有していなかったという調査結果を記載したもの
と判断しました。
建物全体について、石綿を含有する建材が使用されていないことまで記載したものではない、ということです。
簡単に整理すると、
特定箇所の分析結果 ≠ 建物全体の「石綿なし」
後から石綿が見つかる可能性も説明されていた
もう一つ重要なのが、物件説明書の記載です。
そこには、調査範囲などが建物全体の石綿含有建材の使用状況を網羅していない可能性や、後日石綿含有建材が発見される可能性が記載されていました。
そのため裁判所は、売主が買主に対して、
「この建物の建材には石綿が含まれていない」
とまで情報提供したものではないと判断しています。
この事例では、調査結果だけではなく、その調査結果の限界もあわせて情報提供されていたことになります。
売主に追加調査義務があったとも認められなかった
買主は、
「建物の竣工時期などを考えれば、売主は設計図書などを確認して追加調査を行うべきだった」
とも主張しました。
しかし裁判所は、売買契約が現状有姿取引とされていたことや、既存調査の範囲などを踏まえ、売主に追加調査義務があったとは認めませんでした。
また、売主が法令基準を超える石綿の存在を知らなかったことについて、悪意・重過失があったとも認められませんでした。
ただし、ここを、
「現状有姿で売れば、アスベストについて責任を負わない」
と理解するのは適切ではありません。
今回の判決は、調査報告書の内容、物件説明書の留保事項、売主が把握していた事情、契約条件などを踏まえた個別事案についての判断です。
現状有姿や契約不適合責任の免責と、売主が把握している具体的な不具合の告知については、現状有姿・契約不適合責任免責で売る前に確認したい、売主の告知事項でも詳しく解説しています。
現在の解体・改修工事ではどのような調査が必要?
石綿の事前調査制度は、売却そのものではなく、建築物の解体・改修工事を行うときに関係します。
解体・改修工事では、工事の規模にかかわらず、工事対象部分の建材について石綿含有の有無を事前調査する必要があります。厚生労働省「改修・リフォーム業者のみなさまへ」
一方、建築物の解体部分の床面積が80㎡以上、または建築物の改修工事の請負金額が税込100万円以上の場合などは、一定の事前調査結果について行政への報告が必要です。
「建築物の解体80㎡以上」「改修工事100万円以上」は、事前調査そのものを行うかどうかの基準ではなく、調査結果を報告する基準です。80㎡未満、100万円未満であれば事前調査が不要になる、という意味ではありません。詳細は石綿事前調査結果報告システムの案内で確認できます。
また、2023年10月から、建築物の石綿事前調査を行う者に資格要件が設けられています。これは分析作業を行う者に関する資格要件という意味ではありません。
売却前に確認したい調査報告書のチェックリスト
過去の調査報告書が見つかったら、次の点を整理します。
- 調査を実施した機関・調査者
- 調査年月日
- 調査した建物・範囲
- 対象となった建材
- 試料の採取場所と分析結果
- 未調査部分や対象外部分
- 報告書の留保事項・追加調査の要否
- 物件説明書や告知書に記載した内容
「石綿なし」という結論だけで建物全体を判断せず、調査の対象と限界を確認することが大切です。売却前の説明事項の整理は、不動産売却前に確認したい説明不足トラブルの予防ポイントも参考になります。
まとめ:調査結果と調査範囲をセットで確認する
中古物件を売却するだけで、解体・改修工事と同じ石綿事前調査義務が生じるわけではありません。一方、過去の調査記録がある場合は、売却時にその内容と範囲を整理することが重要です。
「石綿なし」と記載された報告書があっても、特定の採取場所の分析結果なのか、建物のどこまでを対象にした調査なのかを確認します。調査範囲や留保事項も含め、売主が把握している資料を整理して取引に関わる宅地建物取引業者へ共有しましょう。
東京地裁令和3年7月28日判決は、調査報告書の内容や限界の説明、売主が知っていた事情、契約条件などを踏まえた個別事案です。特定の条件なら売主が責任を負わない、あるいは現状有姿なら免責されるという一般的なルールを示したものではありません。
築古ビル・一棟収益物件の売却前に、手元の調査資料や建物資料をどう整理すればよいか分からない場合は、資料の範囲と確認事項を整理するところからご相談ください。
