原状回復特約はどこまで有効?「クロス張替え折半」でも通常損耗の借主負担が否定された判例

賃貸住宅の退去時、原状回復費用をめぐって「契約書に借主負担と書いてあるから請求できる」と考えることがあります。

原状回復特約はどこまで有効?「クロス張替え折半」でも通常損耗の借主負担が否定された判例

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しかし、契約書に記載があり、借主が署名していれば、通常損耗まで当然に借主負担にできるのでしょうか。

今回紹介するのは、貸主が借主に対して、原状回復費用と貸室を使用できなかった期間の賃料相当額として合計54万5063円を請求した事案です。

契約書には、畳・襖・クロス・クッションフロア等の張替えや壁等の塗替えその他補修費用を「折半」とする旨の記載がありました。

それでも裁判所は、通常損耗まで借主負担とする特約について、有効に成立していないと判断しました。

一方で、通常損耗を超える損傷については借主負担を認めています。

つまり、この判例は単純に「原状回復費用は貸主負担」と判断したものではありません。

通常損耗と借主の責任による損傷を分け、さらに契約書の特約がどこまで具体的に合意されていたのかを個別に判断した事例です。

本記事では、東京地裁平成29年4月25日判決をもとに、通常損耗を借主負担とする特約の考え方と、貸主・管理会社が原状回復特約を扱う際の注意点を整理します。

貸主は原状回復費用など54万5063円を請求

貸主Xと借主Yは平成15年8月、建物の一室について賃貸借契約を締結しました。

契約条件は次のとおりです。

契約書には、原状回復について概ね次のような特約がありました。

貸室は現況のまま使用し、退室時には入居時の現況に復する。

さらに、解約時について、

畳・襖・クロス・クッションフロア等の張替え、壁等の塗替えその他補修費用は折半とする。

とされ、室内クリーニング、エアコンクリーニング、破損箇所の修理については全額借主負担とされていました。

その後、契約は更新され、借主は平成27年9月まで約12年間入居しました。

退去後、貸主は借主に対して、

を合わせて54万5063円請求しました。

一審では貸主の請求が全部認められましたが、借主が控訴します。

そして控訴審では、結論が大きく変わりました。

貸主の54万5063円の請求について、通常損耗、通常損耗を超える損傷、原状回復工事期間の賃料相当損害金の3論点に分けた判決全体像
図1|54万5063円の請求はどう判断された?

今回の判決を大きく分けると、次の3つです。

  1. 通常損耗に関する補修費用 → 通常損耗を借主負担とする特約の成立を否定
  2. 通常損耗を超える損傷 → 借主負担を認定
  3. 原状回復工事期間の賃料相当損害金 → 特段の合意がない限り請求できない

以下、それぞれ詳しく見ていきます。

通常損耗は原則として賃料の中で回収される

今回の判決を理解するうえで重要なのが「通常損耗」です。

建物を普通に使用していても、時間の経過とともに建物や設備は劣化し、価値も減少していきます。

裁判所は、このような通常使用による損耗についての投下資本の減価については、通常、

として賃料の中に含めて回収されるものと考えました。

そのため、通常損耗まで借主に原状回復させるのであれば、通常とは異なる負担を借主に求めることになります。

そこで必要になるのが、通常損耗まで借主が負担することについての明確な合意です。

「張替え費用は折半」と書くだけでは足りなかった

今回の契約書には、

「畳・襖・クロス・クッションフロア等の張替え及び壁等の塗替えその他補修費用は折半」

という趣旨の記載がありました。

かなり具体的に書かれているようにも見えます。

しかし裁判所は、これだけでは借主が負担することになる通常損耗の範囲が具体的に明記されているとは認めませんでした。

また、貸主側が通常損耗について借主が負担することを具体的に説明し、借主がその内容を明確に認識して合意していたことを示す証拠もありませんでした。

その結果、通常損耗についてまで借主に補修費用を負担させることはできないと判断されました。

ここで重要なのは、

契約書に原状回復特約が「あるか」だけではなく、その特約によって借主が何を負担することになるのかが具体的になっているか

という点です。

通常損耗まで借主負担にするには何が必要なのか

裁判所は、最高裁平成17年12月16日判決を踏まえて、通常損耗を借主負担とするための考え方を示しています。

大きく分けると、次の2つです。

1.契約書に通常損耗の負担範囲を具体的に記載する

借主が負担する通常損耗の範囲が、契約書の条項自体に具体的に明記されている場合です。

単に、

「原状回復費用は借主負担」

「補修費用は借主負担」

とするだけではなく、借主が何を負担することになるのかを具体的に認識できる内容であることが重要になります。

2.具体的に説明し、借主が明確に認識して合意する

契約書の記載だけでは明確でなくても、貸主側から具体的な説明があり、借主がその内容を明確に認識したうえで合意している場合です。

今回の事案では、このいずれも認められませんでした。

通常損耗まで借主負担とするために必要な契約書への具体的記載と具体的説明・明確な合意を示した図
図2|通常損耗まで借主負担にするには?

契約書に署名があることと、通常損耗まで借主が負担することについて明確な合意が成立していることは、必ずしも同じではありません。

通常の原則とは異なる負担を借主に求めるのであれば、契約条項と契約時の説明の双方を確認する必要があります。

特約が認められなくても、原状回復費用がすべて貸主負担になるわけではない

ここは誤解しやすいところです。

通常損耗を借主負担とする特約が成立していないからといって、退去時に発生する原状回復費用のすべてが貸主負担になるわけではありません。

今回の裁判でも、約12年間という居住期間を考慮したうえで、通常損耗を超え、借主の善管注意義務違反によるものと認められた損傷については借主負担とされました。

認められた主な項目には、

などがあります。

これらについて認められた原状回復費用は、消費税込みで12万4920円でした。

通常損耗と通常損耗を超える損傷を比較し、借主負担となる範囲を示した図
図3|どこまでが借主負担になった?

今回の判例からも分かるように、

「長期間住んでいるからすべて通常損耗」

でも、

「契約書に書いてあるからすべて借主負担」

でもありません。

通常使用によって生じた損耗なのか、それとも通常損耗を超える損傷なのかを分けて考える必要があります。

最終的な借主の追加負担は6953円

裁判所が認めた原状回復費用は税込12万4920円でした。

そこから敷金残額11万7967円を控除すると、

12万4920円 − 11万7967円 = 6953円

となります。

したがって、借主が追加で負担する原状回復費用は6953円とされました。

当初の貸主による請求額54万5063円と比較すると大きな差があります。

ただし、これは「原状回復費用が6953円しか認められなかった」という意味ではありません。

裁判所が認めた原状回復費用は12万4920円であり、そこから残っていた敷金を控除した結果、追加支払額が6953円になったという関係です。

原状回復工事に必要な期間の家賃は請求できる?

今回の貸主は、原状回復費用だけを請求していたわけではありません。

原状回復費用が支払われなかったため工事ができず、貸室を再使用できなかった期間についても賃料相当損害金を請求していました。

しかし、この部分についても裁判所は認めませんでした。

判例では、特段の合意がない限り、明渡し後の原状回復工事に必要な期間について賃料相当損害金を借主に請求することはできないとされています。

つまり、

「原状回復工事が終わらない」

「その間、貸室を使用できない」

「だからその期間の家賃相当額も当然に借主負担」

とはならないということです。

この点も、退去後の原状回復を扱う貸主・管理会社にとって注意したいポイントです。

貸主・管理会社が原状回復特約を確認するときのポイント

今回の判例を管理実務に置き換えると、特に注意したいのは契約書の雛形をそのまま使い続けることです。

長年使用している契約書だからといって、その特約が現在の判例上も当然に有効とは限りません。

原状回復特約を確認する際には、少なくとも次の点を確認しておきたいところです。

また、退去時の査定では、

を分けて確認することも重要です。

単に「修繕にいくらかかるか」を算出するだけではなく、

その修繕費のうち、どこまで借主に負担を求められるのか

を切り分ける必要があります。

「契約書に書いてある」は結論ではない

今回の判例で特に重要なのは、貸主と借主のどちらが全面的に勝ったか、ということではありません。

裁判所は、

通常損耗に関する補修費用

通常損耗を超える借主責任による損傷

明渡し後の原状回復工事期間の賃料相当損害金

を分けて判断しました。

契約書に書いてあるから、すべて借主負担になるわけではありません。

一方で、通常損耗特約が認められなかったからといって、借主の責任による損傷まで貸主負担になるわけでもありません。

原状回復をめぐるトラブルを防ぐためには、

何を、どの範囲まで、誰が負担するのかを具体的に定め、その内容を契約時に明確に共有しておくこと

が重要です。

特に、長年同じ賃貸借契約書や原状回復特約を使用している場合は、「昔からこの条項だから」という理由だけで判断せず、一度内容と運用を確認してみる必要があるでしょう。

判例情報

※本記事は判例をもとに、賃貸不動産における原状回復特約の考え方を一般向けに整理したものです。個別の契約や紛争については、契約内容や具体的な事実関係によって判断が異なる場合があります。

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