賃貸住宅の退去時に、よくトラブルになるのがハウスクリーニング費用です。
オーナーや管理会社からすると、「退去後には次の募集のために清掃が必要なのだから、借主に負担してもらいたい」と考えることは珍しくありません。
一方で借主からは、「普通に住んでいただけなのに、なぜ退去時の清掃費用まで負担するのか」という疑問が出ます。
では、契約書にハウスクリーニング費用を借主負担と定めておけば、その特約は有効なのでしょうか。
今回紹介する東京地方裁判所令和3年11月1日判決では、退去時のハウスクリーニング費用8万9,100円+消費税を借主が負担する特約が有効と判断されました。
さらに、この事案では、貸主側にハウスクリーニングの実施状況を当然に借主へ報告する義務もないと判断されています。
ただし、この判例を単純に、「契約書にクリーニング代を書けば、借主に請求できる」と読むのは危険です。
オーナー側から見ると重要なのは、負担内容をどこまで明確にし、どのような条件で借主と合意していたかという点です。
約9万円のハウスクリーニング費用をめぐる争い
今回の事案では、借主は専有面積81㎡の賃貸マンションを借りていました。契約書には、退去時のハウスクリーニング費用として、8万9,100円+消費税を借主が負担するという特約が明記されていました。
借主は契約時に敷金25万円を差し入れています。その後、契約終了に伴って借主が退去すると、貸主側は敷金25万円からハウスクリーニング費用と襖の貼替費用を合わせて10万円余りを控除し、残額を返還しました。
これに対して借主は、ハウスクリーニング特約は無効ではないか、実際にどのようなクリーニングを行ったのか報告すべきではないか、敷金から控除された費用の説明が不十分ではないかなどと主張し、未返還の敷金や損害賠償を求めました。
通常損耗は、原則として借主負担ではない
まず押さえておきたいのが、原状回復の基本です。賃貸住宅は、普通に生活していても少しずつ劣化します。
裁判所も今回の判決で、賃貸物件の損耗は賃貸借契約の性質上当然に予定されているため、特約がない限り、借主は通常損耗について原状回復義務を負わないとしています。
つまり、「退去後に清掃するのだから、その費用は当然に借主負担」というわけではありません。通常損耗に関係する費用を借主へ負担させるのであれば、契約上どのような合意をしているのかが重要になります。
なぜ今回のハウスクリーニング特約は有効とされたのか
今回の判例で最も重要なのは、この点です。契約書には、「退去時ハウスクリーニング費用 8万9,100円+消費税」という具体的な負担額が記載されていました。
借主は契約時点で、「退去するときに自分はいくら負担することになるのか」を認識できる状態だったことになります。裁判所は、このように負担額が明確で、借主がその内容を認識したうえで契約していたことを重視しました。
また、専有面積81㎡という物件の広さなどから見ても、8万9,100円+消費税という金額が高額すぎるとは認められないと判断しました。その結果、この特約は消費者の利益を一方的に害するものではなく、消費者契約法10条によって無効になるものではないとされました。

この判例からオーナー側が読み取るべきなのは、「クリーニング費用を借主負担と書いておけばよい」ということではありません。ポイントは、借主が負担する内容が具体的になっていること、契約時に借主がその負担を認識できること、負担額が物件の規模等に照らして著しく不合理ではないことです。
「実費精算」なのか「定額負担」なのか
今回の判例を実務へ落とし込むうえで、もう一つ重要なのが、クリーニング費用をどのような仕組みで借主に負担してもらうのかです。
今回の契約は、実際に何時間清掃したか、何カ所作業したかによって負担額が変わる仕組みではありませんでした。あらかじめ、8万9,100円+消費税という固定額が決められていました。
裁判所は、契約書にクリーニング作業の内容が列挙されていたとしても、そのすべての作業を実施することが費用控除の条件ではないと判断しています。また、損耗や汚損のない部分についてまで、必ずクリーニングを行わなければならないものでもないとしました。
つまり今回の契約は、「実際にかかった清掃費用を後から精算する契約」ではなく、「退去時に一定額を負担する契約」だったということです。

定額型と実費精算型のどちらが常に正しい、という話ではありません。重要なのは、契約書に書かれている仕組みと実際の管理運用を一致させることです。
定額型なのに退去時に実際の作業内容によって金額を増減させる、実費精算型なのに実際の清掃費用とは関係なく毎回同じ金額を請求する、といった運用になると、契約内容と実態がずれ、トラブルの原因になりやすくなります。
貸主にクリーニング実施報告義務はあるのか
借主は、貸主側に対してクリーニングの実施状況について問い合わせていました。しかし今回の契約書には、「ハウスクリーニング実施後、その内容を借主へ報告する」という条項はありませんでした。
裁判所は、そのような契約上の定めがない以上、貸主側が当然に借主へ実施状況を報告する義務を負うものではないと判断しました。また、退去後には実際にハウスクリーニングが実施されていたため、貸主側は契約で合意されたクリーニング費用を敷金から控除することができるとされています。
ただし、「法律上の報告義務がない」ことと、「借主へ何も説明しなくてよい」ことは別です。実務上は、退去精算時に、どの契約条項に基づく費用なのか、定額負担なのか実費精算なのか、原状回復費用とクリーニング費用をどう区別しているのかを説明できる状態にしておく方が、無用なトラブルを避けやすくなります。
契約書に書いてあれば、どんな金額でも有効になるわけではない
今回の判決だけを見ると、「契約書にクリーニング特約を書いておけば大丈夫」と思うかもしれません。しかし、そこまで単純ではありません。
今回、特約が有効とされた背景には、借主の負担額が具体的に明示されていたこと、借主が契約時にその負担を認識していたこと、物件の専有面積などから見て金額が高額すぎなかったことがあります。
例えば、「退去時のクリーニング費用は借主負担とする」とだけ書かれていて、金額も算定方法も分からない、あるいは物件の広さや内容に対して著しく高額な費用を設定している、といった契約まで、今回と同じように有効と判断されるとは限りません。
オーナーとしては、「請求できるように書く」よりも、「契約時に借主が負担内容を理解できるように書く」という視点の方が重要です。
襖の貼替費用は認められなかった
今回の事案で、貸主側が敷金から控除したのはハウスクリーニング費用だけではありませんでした。襖の貼替費用も控除していました。
しかし原審では、この襖の貼替費用については、借主が負担すべき特別損耗に関する原状回復費用とは認められず、その部分については借主側の請求が認められています。
ハウスクリーニング特約が有効だからといって、退去時に請求する費用すべてが認められるわけではありません。退去精算では、通常損耗なのか、借主の故意・過失による損耗なのか、ハウスクリーニング特約による負担なのか、その他の特約に基づく負担なのかを分けて考える必要があります。
オーナーが契約前に確認しておきたい3つのこと
1.クリーニング費用を具体的にしておく
借主に負担してもらうのであれば、「退去時のクリーニング費用は借主負担」だけで終わらせず、固定額、㎡単価、算定方法など、借主が負担額を把握できる形にしておくことを検討します。重要なのは、契約時点で借主が自分の負担を理解できることです。
2.定額なのか実費なのかを決めておく
退去時に一定額を負担してもらうのか、それとも実際に発生したクリーニング費用を精算するのか。ここを曖昧にすると、「実際にはいくらかかったのか」「その作業は本当に必要だったのか」という争いにつながりやすくなります。契約書の文言だけでなく、管理会社の退去精算の運用も含めて整理しておく必要があります。
3.原状回復費用とクリーニング費用を分けて考える
ハウスクリーニング費用と、借主の故意・過失による傷や汚れの補修費用は別の問題です。契約書や退去精算書でも、「定額のハウスクリーニング費用」と「借主負担となる個別の原状回復費用」を区別しておく方が、借主への説明もしやすくなります。
退去時の争いは、契約時の準備で減らせる
ハウスクリーニング費用のトラブルは、退去時に突然発生するように見えます。しかし、その前提の多くは入居時の契約で決まっています。
今回の裁判例では、金額が具体的に明示されていたこと、借主が契約時に負担内容を認識していたこと、物件の規模に照らして高額すぎないと判断されたことなどから、ハウスクリーニング特約が有効とされました。また、契約上の定めがない以上、貸主側には借主へクリーニング実施状況を当然に報告する義務もないと判断されています。
オーナーにとって大切なのは、「退去したらクリーニング代を請求すればいい」と考えることではありません。借主に何を負担してもらうのか、定額なのか実費なのか、金額をどう決めるのか、原状回復費用とはどう区別するのか。それを契約前に管理会社と整理し、契約書と実際の運用をそろえておくことが、退去時の敷金精算トラブルを減らすための基本になります。
参考判例・出典
- 東京地方裁判所 令和3年11月1日判決
- RETIO「最近の裁判例から ⑾-ハウスクリーニング特約-」
- 「ハウスクリーニング特約は有効と認められ、また、貸主は借主に実施した報告をする義務はないとした事例」
※本記事は上記裁判例をもとに、不動産オーナー・賃貸管理実務の観点から一般向けに整理したものです。個別の契約条項や費用負担の有効性については、契約内容や具体的事情によって判断が異なる場合があります。
