親が所有していたアパートや貸家、店舗を相続したとき、まず考えるのは「売却するか」「そのまま貸し続けるか」といった不動産の扱いではないでしょうか。
しかし、賃貸物件の相続では、建物や土地だけを引き継ぐわけではありません。
借主との賃貸借契約、預かっている敷金、未払賃料への対応、修繕義務など、貸主としての立場も引き継ぐことになります。
さらに、兄弟姉妹など複数の相続人で賃貸物件を相続した場合には、一人の相続人が行った借主対応について、ほかの相続人まで責任を負う可能性があります。
今回は、賃料を滞納していた店舗の借主が入院している間に、相続人の一人が内装や備品を無断で撤去し、管理に関与していなかったほかの相続人にも責任が認められた裁判例を紹介します。
この記事の要点
- 賃貸物件を相続すると、家賃収入だけでなく貸主としての義務も引き継ぎます。
- 相続人の一人が独断で借主の荷物を処分すると、ほかの相続人にも責任が及ぶ可能性があります。
- 賃料滞納、契約解除、残置物処分は、それぞれ別の問題です。
- 売却や保有を決める前に、契約、敷金、滞納、管理体制を確認する必要があります。
賃貸物件を相続すると、貸主としての義務も引き継ぐ
賃貸物件を相続すると、家賃を受け取る権利だけでなく、貸主としての義務も引き継ぎます。
たとえば、次のようなものです。
- 借主に建物を使用させる義務
- 預かっている敷金を返還する義務
- 契約内容に応じた修繕対応
- 賃料滞納が発生した場合の督促や契約解除
- 契約終了後の明渡しや残置物への対応
- 借主との過去の約束や個別の合意
親が長年、自分で管理していた物件では、契約書に書かれていない事情や、借主との口約束が存在することもあります。
相続人がその事情を知らないまま、自分の判断だけで対応すると、借主とのトラブルに発展する可能性があります。
今回の裁判例も、所有者が亡くなった後、相続人が物件管理を引き継いだ場面で問題が起きました。
借主が入院している間に、店舗の内装と備品を撤去
借主は、ビル1階の約23平方メートルの店舗を借り、ラーメン店を営業していました。
契約時には、敷金として550万円を預けていました。
賃貸借契約には、借主が2か月分以上の賃料を支払わなかった場合、貸主は催告をせずに契約を解除できるという無催告解除特約が設けられていました。
その後、借主は2018年12月以降の賃料を支払わないまま、2019年1月16日から2月21日まで、心筋梗塞の治療のため入院しました。
この物件の所有者はすでに亡くなっており、複数の相続人が貸主の地位を引き継いでいました。
そのうちの一人が、実質的に物件を管理していました。
管理を担当していた相続人は、借主が賃料を支払わず、ラーメン店も営業していなかったことから、賃貸借契約はすでに終了したものと考えました。
そして、借主に未払賃料の支払いを求める催告をせず、契約を解除するという通知も行わないまま、店舗内の内装や造作を取り外し、備品などを廃棄しました。
退院した借主は、店舗内の内装や備品が撤去されていることを知り、相続人らに対して、損害賠償と敷金の返還を求める訴訟を起こしました。
無催告解除特約があっても、契約は自動的に終わらない
相続人側は、借主が賃料を2か月分滞納したまま所在不明になったため、賃貸借契約は終了したと主張しました。
確かに、契約書には、2か月分以上の賃料を滞納した場合には、催告をせずに契約を解除できるという規定がありました。
しかし裁判所は、この主張を認めませんでした。
無催告解除特約があるからといって、賃料を滞納した時点で、何もしなくても賃貸借契約が自動的に終了するわけではありません。
無催告解除とは、一定の事情がある場合に、支払いを求める催告を省略して解除権を行使できるというものです。
解除できることと、契約が自動的に消滅することは同じではありません。
また、仮に契約解除が有効であったとしても、それによって貸主が自分で室内へ入り、借主の内装や荷物を処分できるわけではありません。
借主が任意に物件を明け渡さない場合には、原則として建物明渡請求訴訟や強制執行などの法的手続を経る必要があります。契約終了と原状回復を混同しないための整理は賃貸借契約の終了・原状回復の確認ポイントもご覧ください。
相続した建物でも、借主の占有を勝手に排除できない
裁判所は、相続人が借主に無断で店舗の内装や造作を取り外し、備品を廃棄したことにより、借主が店舗を使用できなくなったと判断しました。
貸主には、借主に建物を使用させる義務があります。
その義務が続いているにもかかわらず、貸主側が実力で内装や備品を撤去し、借主の占有を排除したことは、貸主としての義務に違反するとされました。
さらに、実際に撤去を行った相続人については、自力救済に当たり、不法行為も成立すると判断されています。
自力救済とは、裁判所などの法的手続を利用せず、自分の力で権利を実現しようとする行為です。
賃貸物件では、たとえば次のような行為が問題になります。
- 借主に無断で鍵を交換する
- 室内の荷物を外へ搬出する
- 家具、設備、商品などを廃棄する
- 店舗の看板や内装を撤去する
- 電気や水道を意図的に止める
- 借主の同意なく、次の入居者へ引き渡す
相続した建物であっても、賃貸中であれば、相続人が自由に室内を扱えるわけではありません。
建物の所有権と、借主が室内を使用する権利は別に考える必要があります。
実際に撤去していない相続人にも責任が認められた
この裁判例で特に重要なのは、店舗の内装や備品を実際に撤去した相続人だけが責任を負ったわけではない点です。
ほかの相続人は、物件の管理に関与しておらず、撤去行為にも積極的に関わっていませんでした。
それでも裁判所は、本件の相続人らについて、貸主としての債務不履行責任を認めました。
これは、賃貸物件を共同で相続した場合に、常にすべての相続人が責任を負うという意味ではありません。責任の有無や範囲は、契約関係や具体的な行為によって異なります。
相続人らは、借主に店舗を使用させる義務を共同で負っていたからです。
撤去行為によって、借主がラーメン店を営業できなくなるという重大な結果が生じたことから、管理に関与していなかった相続人も責任を免れないと判断されました。
この点は、複数の相続人で賃貸物件を引き継いだ場合に、特に注意が必要です。
たとえば、
- 「物件管理は兄に任せていた」
- 「自分は遠方に住んでいて、何も知らなかった」
- 「借主対応には関与していない」
- 「撤去には立ち会っていない」
といった事情があっても、必ずしも責任を免れられるとは限りません。
賃貸物件を共同で相続した場合には、管理を誰か一人に任せたからといって、ほかの相続人の責任までなくなるわけではないのです。共有者間の権限や家賃管理は、相続した共有名義の賃貸物件で家賃の振込先を変える際の確認点も参考になります。
相続人側には約626万円の負担が生じた
裁判所は、借主が経営していたラーメン店について、営業利益が上がっていたとは認められないとして、休業による営業損害は認めませんでした。
一方で、それ以外の損害については、相続人側の責任を認めました。
主な金額は次のとおりです。
| 項目 | 認められた金額 |
|---|---|
| 営業損害 | 0円 |
| 営業再開費用等 | 100万円 |
| 慰謝料 | 30万円 |
| 敷金返還 | 約496万円 |
| 合計 | 約626万円 |
撤去された内装や造作、備品などの損害に加え、同等の建物でラーメン店を再開するために必要な費用として100万円が認められました。
また、借主に無断で店舗を使用できない状態にした行為について、慰謝料30万円も認められました。
さらに、敷金550万円から未払賃料約53万円を差し引いた約496万円についても、相続人側に返還義務があるとされました。
ここで注意したいのは、約626万円の全額が損害賠償ではないという点です。
約496万円は敷金の返還ですが、相続人にとっては、相続後に支払う必要が生じる負担であることに変わりありません。
親が預かっていた敷金がどこに保管されているのか分からない場合には、相続人が自分たちの資金から返還しなければならない可能性もあります。
勝手に撤去した結果、原状回復費用も差し引けなかった
相続人側は、敷金から店舗の原状回復費用を差し引くべきだと主張しました。
しかし裁判所は、この主張を認めませんでした。
今回の賃貸借契約は、借主が通常どおり退去したことによって終了したのではありません。
相続人側が内装や備品を無断で撤去し、借主が店舗を使用できない状態にしたことによって終了したと判断されました。
そのため、このような場合に借主が原状回復義務を負うとは認められないとされました。
相続人側から見ると、
- 内装や備品の撤去について損害賠償責任を負う
- 慰謝料を支払う
- 敷金の大部分を返還する
- 原状回復費用も敷金から差し引けない
という結果になりました。
早く店舗を片づけて次の募集を始めようとしたことが、かえって相続人全体の負担を大きくしたといえます。
賃貸物件を相続した直後にやってはいけないこと
親が亡くなり、相続手続や葬儀、税務申告などに追われていると、賃貸物件の対応まで手が回らないことがあります。
その結果、近くに住んでいる相続人や、以前から親の手伝いをしていた相続人に、すべてを任せてしまうこともあるでしょう。
しかし、次のような対応は危険です。
- 賃貸借契約書を確認せずに借主対応を始める
- 一人の相続人に判断をすべて任せる
- 滞納している借主を退去済みと決めつける
- 借主不在の室内へ無断で入る
- 鍵を交換する
- 家具や設備、商品などを処分する
- 敷金や保証金の金額を確認しない
- 管理会社との契約内容を確認しない
- 親と借主との過去のやり取りを調べない
- 兄弟間で情報を共有しない
特に注意したいのは、相続した自宅の遺品整理と、賃貸物件の室内にある借主の荷物の処分を、同じ感覚で考えないことです。
親の所有物であれば、相続人が遺品として整理できる場合があります。
しかし、賃貸中の室内にある家具、設備、商品、書類などは、原則として借主の財産です。
相続人から見て不要な物に見えても、勝手に処分することはできません。なお、親の家財を整理する場合とは前提が異なります。空き家側の整理は残置物が多い空き家を売却・賃貸する前の確認点で分けて解説しています。
相続後、最初に確認したい資料
賃貸物件を相続したら、売却するか保有するかを決める前に、まず貸主としての状況を整理する必要があります。全体像は賃貸住宅オーナーのための相続・管理引継ぎガイドでも確認できます。
少なくとも、次の資料を確認しておきましょう。
賃貸借契約書
契約期間、賃料、敷金、更新条件、解約条件、特約などを確認します。
古い契約では、何度も更新されていたり、途中で覚書が作成されていたりすることがあります。
最初の契約書だけでなく、更新契約書や変更合意書も確認が必要です。
借主の一覧
複数の部屋や店舗がある場合には、誰がどの物件を借りているのかを一覧にします。
契約者と実際の入居者、使用者が異なっていないかも確認します。
家賃の入金履歴
直近だけでなく、過去の入金状況も確認します。
慢性的に支払いが遅れている借主や、一部だけ入金している借主がいる場合には、単純に滞納額だけを見ても状況を把握できません。
敷金や保証金の預り額
親が借主からいくら預かっているのかを確認します。
敷金は、相続人が自由に使える資金ではありません。
契約終了時には、未払賃料や適正な原状回復費用などを差し引いたうえで、借主へ返還する必要があります。
家賃保証会社や連帯保証人
家賃保証会社を利用している場合には、滞納発生後の報告期限や請求方法を確認します。
連帯保証人や緊急連絡先についても、契約書と現在の状況が一致しているか確認します。
管理会社との契約
管理会社へ委託している場合には、管理委託契約の内容を確認します。
賃料集金、滞納督促、修繕、契約更新、解約、敷金精算のうち、どこまで管理会社へ任せているのかを整理します。管理の引継ぎや委託範囲を見直す場合は横浜の賃貸管理・不動産運用相談も確認できます。
修繕履歴や借主とのやり取り
親が借主に修繕を約束していたり、賃料減額に応じていたりする場合があります。
メール、手紙、メモ、請求書、工事記録なども確認しておきましょう。
兄弟で相続した場合に決めておきたいこと
複数の相続人で賃貸物件を引き継いだ場合には、誰が管理するかだけでなく、どのように判断を共有するかを決める必要があります。
少なくとも、次の事項は相続人間で整理しておきたいところです。
- 借主や管理会社の窓口を誰にするか
- 家賃や敷金をどの口座で管理するか
- 修繕費を誰が立て替えるか
- どの程度の修繕まで担当者だけで判断できるか
- 賃料滞納が発生した場合、いつ弁護士へ相談するか
- 契約解除や明渡し手続を誰が進めるか
- 借主からの苦情や相談をどう共有するか
- 売却や建替えを検討する場合、誰が調整するか
特に、
- 鍵の交換
- 契約解除
- 室内への立入り
- 荷物の搬出
- 残置物の処分
- 次の借主への引渡し
といった重要な対応は、一人の相続人だけで決めない方が安全です。
管理担当者を決めることと、その人にすべての権限を任せることは別です。
重要な判断については、相続人間で報告や同意を求める仕組みを作っておく必要があります。
相続前に親へ確認しておきたいこと
賃貸物件の相続対策というと、遺言、相続税、共有回避、法人化などが中心になりがちです。
しかし、実際に相続が発生した後に困るのは、日常の管理情報が残っていないことです。
親が元気なうちに、次のことを確認しておくと、相続後のトラブルを減らせます。
- 所有している賃貸物件の一覧
- 借主の氏名や連絡先
- 賃貸借契約書の保管場所
- 敷金や保証金の預り額
- 家賃の入金口座
- 滞納している借主の有無
- 苦情やトラブル中の借主の有無
- 管理会社の担当者
- 修繕を依頼している業者
- 借主との口約束や特別な条件
- 鍵の保管場所
- 今後、売却や建替えを検討している物件
親が亡くなった後では、なぜその条件で貸していたのか、なぜ賃料を下げたのか、なぜ敷金を多く預かっているのかを聞くことができません。
契約書だけでは分からない事情がある場合には、相続人が借主と一から調整しなければならなくなります。売却も比較する場合は、賃貸中物件の売却前に契約と入居者状況を確認する記事が参考になります。
相続対策は、登記や相続税だけではない
今回の裁判例では、相続人の一人が賃料を滞納していた借主の店舗を片づけようとした結果、管理に関与していなかったほかの相続人にも責任が認められました。
賃貸物件を相続すると、建物や家賃収入だけでなく、借主との契約関係や貸主としての義務も引き継ぎます。
特に重要なのは、次の3点です。
- 賃料を滞納していること
- 賃貸借契約を解除できること
- 借主の荷物を処分し、明渡しを完了できること
この3つは、それぞれ別の問題です。
賃料滞納があっても、契約が自動的に終了するわけではありません。
契約を解除できたとしても、相続人が自分で鍵を交換し、室内の荷物を処分できるわけでもありません。
また、物件管理を一人の相続人に任せていたとしても、その対応によってほかの相続人まで責任を負う可能性があります。
賃貸物件を相続した場合には、売却するか保有するかを決める前に、賃貸借契約、敷金、滞納、修繕、管理体制を整理することが大切です。
これから賃貸物件を相続する可能性がある場合には、親が元気なうちに、契約書や借主情報、敷金の管理状況を確認しておく必要があります。
相続対策は、登記や相続税だけではありません。横浜市西区の物件については、相続不動産の管理と売却、賃貸管理、不動産売却の地域別ガイドでも確認事項を整理しています。
借主との関係を誰が、どのように引き継ぐのかまで決めておくことが、賃貸物件を安全に承継するための重要な準備になります。
出典・注記
- 東京地方裁判所令和3年3月10日判決
- RETIO No.129「最近の裁判例から ⑾-無催告解除特約と自力救済-」
- 本記事では、判例解説の内容を、賃貸物件を相続した人・相続する可能性がある人向けに再構成しています。
- 約626万円は、営業再開費用等100万円、慰謝料30万円、敷金返還約496万円の合計です。全額が損害賠償ではありません。
